2012年4月 2日 (月)

間奏曲 〜 春

暦は四月。でも先日、東京の家族に電話したら「まだまだ寒いよ」とのことでした。みなさまの暮らしておられる土地では、いかがですか?

今回はきちんと長い原稿を書く時間がまだ取れずにいますが、ニューヨークで見かけた春の風景を伝えたくて、写真エッセイをお送りします。みなさまのところにも、一日も早くうららかな日々が訪れますように!

春分直後の金曜日は、初夏のような陽気でした。その翌日の土曜日、友人のVickiさんに誘われてブランチをしてきました。まずはブルーベリーとラズベリーを浮かべたホワイトサングリアを注文。


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ほんのり甘く爽やかで、微炭酸のシュワシュワものどごしがよい。


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Vickiさんの膝の上でいいこにしているのは、プードルのプーチー嬢。プーチーちゃんの本名は「プーチー・ヴァレンティナ・桜」ちゃんなのです。

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わたしたちが注文したのは...「スモークサーモンのオムレツ」、「蟹とフレッシュチーズ入りのオムレツ」、そしてフルーツを添えたフレンチトースト。

マンハッタンのアッパーイーストサイドは、ヨーロッパ風のカフェが点在する落ち着ける空間です。ダウンタウンのような混雑はなく、けれど数々のすばらしい美術館が並ぶ、しっとりと大人の界隈。

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しめくくりには小さな苺のタルトと、濃いめの熱々コーヒー。この2時間で、それまでの一週間の疲れがほどけていく。


じゃ、少し散歩しよう。


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歩きだしたら目の前にもほら、春の色が。


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手入れされたプランターもよいけれど、こんなふうに無造作に草たちが顔を出す風景もよい。みんながんばれよっと声をかけたくなる。


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この季節、マンハッタンの通りはどこも、小さく可憐な白い花に彩られます。どうやら「クラブアップル」と呼ばれる小さな林檎の実をつける果樹らしい。


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セントラルパークでは、桜が満開!
百年ほど前に、日本から贈られた桜の木だそうです。五番街沿いの84丁目あたりから94丁目あたりまで、薄紅の花をつけた桜が花トンネルを作っています。

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足下に目を落とせば、小さな太陽のかけらみたいなたんぽぽ君たちもおひさまに向かって元気いっぱい咲いている。


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すみれも可憐な花を風にふるわせていました。


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池のほとりでは、鴨のご夫婦がひとやすみ。


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友人たちと別れて、わたしはダウンタウンに向かう。週末といえど、あれこれ片付けねばならないものがあれこれあるわけです。途中、メトロポリタン美術館の脇では目にも鮮やかな連翹の茂みが光を浴びていました。


来週、4月8日はイースター。キリスト教の祝祭ですが、宗教的祝祭日となる以前は、木の芽がふくらみ花がこぼれ、冬眠していた動物達が戻ってくる、そんな生命の再生を祝うお祭りだったとか。この一年にお別れを告げた命、それから新しく生まれた命。転生というものを信じるか否かは人によりますが、いずれにせよ春は生命の力を祝い愛しむ季節なのだと思います。


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でもね、あのね、春は眠いの。春眠暁を覚えず... zzzzzzzzzz


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2012年3月 5日 (月)

時ヲ越エテ

前回のチャッちゃんに関する記事では、多くの方からコメントいただきありがとうございました。多忙&身体が少々不調につき、きちんとお返事できずにおりますが、近日中にお返事させてくださいね。また、みなさまから戴いたお優しい言葉の数々に、友人あやちんからも「いただいたコメントを本当に有り難いと思います」とのメッセージが寄せられています。

さて今回は、時間に関するお話です。


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クローディーヌと出会ったのは大学生のころだった。

大学では英文科に籍を置いていたわたし。でも本当はフランス文化に惹かれていて、銀幕に映る男女の会話を「そのまま」で理解したくて、二年生までの第二外国語の授業が終わった後も、独学でフランス語を勉強していた。読み書きだけでなく喋れるようになりたくて、語学学校で会話レッスンをはじめた。そこで講師をしていたのが、クローディーヌだった。年齢が近かったこともあり、わたしたちはやがてレッスン以外にも、待ち合わせてはお茶を飲みおしゃべりするようになった。

大きな目を見開いて「Oh, là, là」(フランス語で「あら、まあ」)と歌うように言うその口調をよく覚えている。クローディーヌが住んでいた築地の外れにある小さなアパートに遊びにいき、彼女の故郷ブルターニュ名物の蕎麦粉のガレット(小麦粉で作るものはクレープ、蕎麦粉で作るものはガレットと呼ぶ)や、塩タラとじゃがいものピュレ「ブランダード」をごちそうになったこと。武蔵野のわたしの自宅に遊びにきてくれたこと。ひな祭りのときには、母の作ったひな人形を見ながら一緒におすしを食べたっけ。わたしの母の着付けで赤い着物を纏ったクローディーヌは少し頬を染め、フランス人形のように可愛かった。

わたしが大学を卒業してから数年後、クローディーヌはフランスへ帰国し、幼なじみの男性と結婚した。結婚式の招待状をいただいたのは、わたしがニューヨークへ渡ってからのこと。でも、結婚式には行けなかった。


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ニューヨークに渡ってすぐの数年間、わたしの身の上にはいろいろなことが起こっていた。辛いけど後から考えるとバカだね…という恋をしたり、善悪の感覚がまるで違う相手に出会ってしまい、ほうほうのていでアパートを逃げ出したり。そうこうしているうちに、アドレス帳を失くしたりして、いろんな友人とも音信不通になっていた。クローディーヌの結婚式だって、本当はとてもとても行きたかったのだ。でも経済的にも、また自分の精神状態からみても、とてもフランスまで駆けつけることはできなかった。


それから数年後。オレゴン州ポートランドに住んでいた頃だった。結婚していた相手と離婚して、ひとりになったとき、「そうだ旅をしよう」と思った。行き先は…大好きなフランス! そう思った瞬間、何かが囁いた。

「クローディーヌを探さなきゃ」

手掛かりはほとんどない。わかっていたのは、彼女がブルターニュのサン・マロという街出身だということ、その後結婚した相手がフランス中部オーヴァーニュ地方のどこかで市長をしている、ということ。それだけの手掛かりから、何が探せるだろう? それでもやってみないとわからないし、時の中でこぼしてしまったものを探しに行く旅も、悪くない。

九月上旬のある日、早朝パリに着いた。宿に荷物を置くとその足でモンパルナス駅に行き、サン・マロ行きの電車の切符を買った。


その日はモンマルトルのサクレ・クール寺院そばの小さなホテルに滞在した。翌日朝、荷物をまとめてモンパルナス駅へ。途中レンヌ駅での乗り換えを経て、午後早くにサン・マロに到着した。フランス語のレッスンをやめてしまってからもう何年も経っていたから、駅で切符を買うのも、電車のアナウンスを聞くのにも耳をピンと立てて緊張してしまう。なんとか乗り過ごすこともなく目指す駅で降り、駅前に停まっていたバスに乗って「城壁」内へ。


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サン・マロの歴史は古く、ローマ時代までも遡る。15世紀には「フランスでもなく、ブルターニュ人でもない。我々はサン・マロ人だ」として独立宣言までしたほど独立した気風の強い土地で、旧市街は12世紀ごろに築かれた高い城壁にぐるりと囲まれている。城壁内の小さなホテルに宿をとった。屋根裏部屋を思わせる、屋根に傾斜のある部屋だったがほどほどに広く清潔だ。

九月はじめの空は、薄曇りでも全体に心が浮き立つような光を帯びている。城壁の上は幅数メートルの遊歩道になっており、サン・マロの旧市街をぐるりと回ることができる。歩きはじめてしばらくすると目の前に海が広がっていた。英仏海峡に繋がるブルターニュの海。藍色の北の海を想像していたのだが、目の前に広がる水は優しい翡翠色をしていた。

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しばらく歩いたところで城壁を降りて「踊る猫通り」という小径を抜けると、公園に出た。公園そばのカフェに入り、 蕎麦粉のガレットを注文する。卵とハムの入った、スタンダードなものだ。蕎麦粉のクレープ地がぱりぱりに焼けて香ばしく、半熟卵の黄身をとろりとからめて食べる。

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カフェのテーブルから見上げると、目の前の修道院のような建物の壁から、にょっきりとガーゴイルが身体をもたげていた。ガーゴイルというのは中世から19世紀にかけてヨーロッパの建築に多く使われたもので、翼を生やした龍のようないきものや、日本で言えば魑魅魍魎のような怪物の形をしている。口は雨樋になっていて、屋根に溜まった雨水を地上に落とす(そのときに立てるゴボゴボという音から、うがいを思わせるガーゴイル、という名前がついたという説もある)。


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食事の後、公園をぐるりと回った向こう側に郵便局を見つけて入った。郵便局の窓口脇に置いてあった電話帳をめくる。クローディーヌと同じ苗字「パンソン」は、サン・マロ市内では十数人の記載があった。持っていたノートに、彼らの電話番号を書きつけた。

ホテルに戻り、ロビー脇の公衆電話から電話をかける。知らない家に夜電話するのも気が引けたので夕方のうちに電話したのだが、留守している家も多かった。頭の中で何度か反芻して練習した文を繰り返す。たぶんわたしのフランス語は外国語訛りが酷くて聞き取りにくいだろうな、と思うけれど仕方が無い。せめてゆっくり、はっきりしゃべろう。「わたしの名前は葉といいます。クローディーヌという友達を探しているのだけれど、彼女のことを知りませんか」。十数名メモしたパンソンさんのうち、話ができたのは数軒だったけれど、みな「知らない」というばかりだった。


その晩、英仏海峡の目と鼻の先にあるレストランに出かけた。ひとり旅だったけど、数日前に離婚届が受理されたことを、乾杯したかったのだ。辛めの白ワインをお伴に、軽く蒸したブルターニュの魚介類をいただく。わたしの脇にはフランスの別の地方から観光に来たらしいグループがいて、賑やかだ。

海老には細長いフォーク。小さくころころしたツブ貝には、銀色の爪楊枝。蟹には殻をくだくはさみ。お皿は一皿なのに、たくさんの道具が並ぶ。わたしのテーブルを受け持った二十歳そこそこの若いギャルソンは、しばしば様子を見に立ち寄っては「この海老はこうやって食べるんですよ」とこまめに面倒をみてくれた。

食事が終わって他のお客さんが帰るころ、テーブルに立ち寄ったギャルソンが「サン・マロははじめてですか?」と聞くので、旅のわけを話してみた。

「ずっと以前、東京で親しくしていた友達がサン・マロの出身なの。連絡が途絶えてしまったのだけれど、できたら彼女を探したくて」

パンソンさんたちの名前を書いたノートを見せたら、彼は笑いだして言うのだ。
「え…? このひとと、このひとは、僕の伯父さんですよ」

ニコラというその男の子は、自分の苗字こそパンソンではなかったけれど、母方の親戚にパンソンさんがいるらしかった。

「僕にはわからないけど、僕のお母さんはパンソン家と繋がっているから、君の探しているクローディーヌのこと知っているかもしれない」 そう言うニコラの電話番号を聞いて、旧市街を横切り、ホテルへ帰った。

翌日、わたしはサン・マロから湾を隔てた隣街、ディナールへ出かけた。船着き場からニコラに電話すると、「ごめんね、葉。お母さんに聞いてみたけど、クローディーヌのことは知らないらしい」という。


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小さめの船にゆらゆら揺られて辿りついたディナールは、お金持ちの住む高級住宅地。どんな人が住んでいるのか思いを馳せながら、豪奢な住宅と松の樹々の並ぶ道を抜ける。シーズンオフで誰もいないカジノの横を通ると、小雨の中、人通りの少ない商店街に出た。


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サロン・ド・テに入り、お茶を飲む。わたしの他に、お客はパグを連れたおじさんだけ。窓の外の小雨は止まず、静かな午後だ。赤いプラムを焼き込んだタルトには、軽く泡立てた生クリームが添えられていた。


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サン・マロに戻り、翌日パリへ向かう前にもう一度、城壁をぐるりと回った。この旅ではクローディーヌを見つけることはできなかったけれど、彼女の口から何度も聞いた「サン・マロ」の街を歩いた。絶えず岩を洗う翡翠色の波を数えながら、どこにいてもいい、幸せでいてほしいとクローディーヌを思った。


* * * *

あれから6年半が経つ。

そして先々週、思いがけず突然に、「クローディーヌからのメッセージ」と題したメールが届いた。

空色庵のメールアドレス宛に届いたその便りは、クローディーヌが東京を発つときのお別れ会でお目にかかった日本人女性が書いてくれた手紙だった。

「クローディーヌは、あなたのことを思い出しては会いたがっています」

むつみさんというその女性に驚きと感謝を伝えるメールを書いた後、錆びついたフランス語の語彙を頭の片隅からひっぱりだし、辞書を引き、二日かけてクローディーヌへの手紙を書いた。彼女を探しに行った、サン・マロへの旅のことも綴って。彼女から来た返事には、こんなふうにも書いてあった。

「わたしを探しにきてくれたなんて…。今日、両親に電話したよ。なんと、葉がサン・マロにいたとき、わたしの両親は旅行に出かけていたの。だから電話が通じなかった。両親の番号はこれなんだけど…」


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わたしがサン・マロで日記とメモに使っていたノートをひっぱりだしてみると、クローディーヌの両親のものだという番号には、横に「?」がついていた。


不思議なのは、日本人のむつみさんという女性がクローディーヌのことを報せてくれたその前後に、加速度をつけるようにして、過去に同じ時間を共有したひとたちとどんどん繋がっていたことだ。それは、もしかしたら、2011年3月11日という日付の後に、わたしたちの意識に「いま」という時間についてそれまでにはなかった捉えかたが芽生えたせいなのかもしれない。あるいは、わたしたちが、これまで通ってきた道をふりかえりたくなる年齢というものになっているのかもしれない。あるいは、それらはすべて幸運なる偶然、serendipityというものなのかもしれない。

ずっと前に同じ時間を共有した誰かと、ふとまた道程が交差する。それを偶然と呼ぶにせよ、運命と呼ぶにせよ、「時の流れ」という言葉から立ち上るのは、水の流れのイメージだ。ときに同じ峡谷を流れ、ときに大洋の彼岸と此岸とに分かれ、ときに雲へ上り雪のひとひらとなって地上に舞う、水の流転。


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広い太平洋を泳ぐ鯨は、仲間へ宛てたメッセージを歌にのせる。鯨の歌は、時には3000キロの彼方へも届くという。3000キロのこちら側と、あちら側。そのどちらに或る水滴も、鯨の歌の振動に揺れ、それを次の水滴へと伝えたのだ。それらの水滴は本質的に隔たっているのか、あるいは繋がっているのか?


いまわたしに「直接」見える時間の流れは、自分が物理的に身を置くニューヨークという街の、ほんとうに小さな地域で流れる時間だ。昔同じ時間をすごしたひとたちは、いま日本や世界のあちこちにいて、それぞれの時間の流れの中を生きている。

地球にはいま、七十億の人々が暮らすといわれる。その七十億分の一と、七十億分の一が、幾年もの時と海と大陸を隔ててふたたび言葉を交わす。やはりひとつの奇跡と呼びたくなるそんな邂逅は、けれど、きっと、誰かが何かの拍子にふと、時を越えて届く何かに「耳を澄ます」ことからはじまるのだと思う。

だから…いま、ここでこうしてわたしが書いては消し、消しては書いて言葉を紡いでいることも、いま、あなたがここでその言葉を読んでいることも、そして「時」についてあなたが考え、思い出す(かもしれない)誰かのことも、その誰かがいまそのひとのいる何処かで考えたり思ったりしていることも、幾重にも重なりうねる時の流れの中でどこかで繋がる可能性を秘めているのだ。だから…深い海にたゆたう水と鯨の歌に想いを馳せながら、過去と、現在と、未来という概念を、少し祈りに似た気持ちで、繋いでみている。

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2012年1月22日 (日)

雪と、月と、一匹の。

今年初の雪が降りました。

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この冬でようやく二度目の雪です。一度目の雪は昨年十月末に降ったドカ雪でした。それから一月下旬までまったく雪が降らなかったのですから、この冬のニューヨークはまったく、暖冬です。

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セントラルパークの池も、今年はまだ全面的に凍ってはおらず、一部薄い氷が割れたところに鴨たちが集まっています。


「今年はどんぐりが少ないから、暖かい冬になるって誰かが言ってたわ」

そう教えてくれたのは、同じアパートのふたつ上の階に住む女性でした。60代半ばくらいで、白銀の美しい髪を『悲しみよこんにちは』のジーン・セバーグ風に短く切った、素敵な女性。

どんぐりと冬の関係が気になって調べてみたら、どうやら本当にそうらしい。Farmers Almanac(1818年より発行され続けている、農業や自然の移り変わりに関心をもつ人のための年鑑。現在はウェブ版もあります)には、こんな記事が載っていました。

我々の知らないことを、栗鼠たちは知っているのか
2010年7月23日、ピーター・ガイガー

暑い。湿気も多い。こんな熱波の中で、冬のことなんて考えられない…けれど、うちの近所の栗鼠たちはそうでもないようだ。

昔からよく引き合いに出されるのだが、どんぐりが多いのは、厳しい冬がやってくる兆しらしい。そして栗鼠たちはそんな冬、いつもより早めにどんぐりを集めにかかるという。先週、裏庭にすごい量のどんぐりが落ちているのに気づいた。

(以上、拙抄訳)

そういえば、どんぐりって何の実だっけ? 
調べてみたら、そうか、「櫟(くぬぎ)、楢(なら)、柏(かしわ)など、ブナ科の樹々の果実の総称」だそうです。ああ、「どんぐりころころ…」と子供のころからよく知っている木の実だと思っていたけれど、こんなに基本的なことさえ知らなかった。


地上のどんぐりを思いながら、先日、月と火星を訪ねてきました。

少年少女世界SF文学全集で育ったわたくしです。小学生のころ、大人になったら宇宙に行ける時代になるかな…と想像するのが好きでした。大人になったいま、実際に民間人でも宇宙旅行(ていうか、成層圏の外まで、くらいの話ですが)することが、この数年以内に実現しそうです。とはいえその「渡航費」はとんでもない額なので、実際に自分が行くことはないだろうけれど。

わたしの月と火星旅行は、プラネタリウムから訪ねるヴァーチャルな旅でした。マンハッタンの自然歴史博物館で、「地球の外へ」というプログラムを上映しているのです。

プラネタリウムの座席に身を沈め、仰ぎ見れば目と心は一瞬のうちに宇宙へ。数秒のうちに辿り着いた月は、何度か写真で見たのと同じ、静寂が支配するクレーターと灰色の山脈の世界。英国BBC放送に登場したアームストロング宇宙飛行士のインタビュー(1970年)やケネディ大統領の「我々は月へ行く」というスピーチ(1962年)を聴きながら、我々の地球から見える月や、地球からは見えない月の「裏側」を、そして地球の軌道を越えて、火星の表面をも、旅してきました。


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これは、月の裏側の写真。

けれど、ああ。

月と火星はまったく異なる天体。なのに、その表面の写真から受け取る印象はすごく似ているのです。
乾いた、砂と山とクレーターの世界。樹々や海は見えない。火星には水の痕跡があるらしく、これからその組成に関する研究も進んでいくことでしょう。けれど、ああ。

月と火星の「旅」のあと、プラネタリウムの天井に映った地球の、なんと懐かしく美しかったこと。「みどりの星」、「みどりの地球」などとも言いますが、宇宙から見る地球の印象は、海の青と地表の茶、緑。そしてこの惑星が衣のようにまとっている白い雲。なんと色とりどりで、なんと深みのある、なんと愛おしい。地球にどんどん近づきながら、地表のさまざまな風景を見ました。広大な黄土色の広がるサハラ砂漠。白い雪を戴くヒマラヤ山脈。そしてアラル海。

ちょうどこの「旅」に出かける数時間前に、日高敏隆先生の『人間はどこまで動物か』という本を読んでいました。そこではじめて、アラル海のことを知りました。

かつては世界で四番目の大きな湖だったアラル海。昔はその湖畔には樹木の森林があり、渡り鳥が訪れ、虎も棲息していたそうです。ソ連時代に、それまでの環境のバランスを考慮せずに農耕地化政策を行なった結果、20年も経たないうちに干上がってしまい、面積では当時の塩湖と化して、魚など水棲の生き物は死に絶え、樹々は枯れ、鳥も動物も姿を消し…周囲の土地にも塩害が及び砂漠化してしまいました。1960年代の写真と2010年の写真を見比べると、ざっと目測しても十分の一以下に減ってしまったようです。プラネタリウムから見たアラル海は、目を凝らしてやっと小さな「池」が見えるほど。

わたしたちは目先の利益を求め、ただ消費するためだけに地に孔を穿ち、海を汚し、樹々を伐り、砂漠を増やし…。けれど宇宙から見る地球は掌にすっぽり収まるほど「限りある」もので、繊細で、美しい。アームストロング宇宙飛行士たちが月に降り立ってから43年。わたしたちはもっと、宇宙から見た地球の姿を見るべきなのかもしれません。宇宙広しといえども岩石や気体だけで構成された星たちが多い(たぶん、ほとんど)の中、こんなにも多様な風景と生命の曼荼羅に恵まれた、大きくて小さな星に生きる幸せを享受していることを思い出すために。

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(上記はリンクフリーの地球写真より転載)

月や火星への「旅」から数日後。友達の犬が天に逝きました。

ピットブルのチャッちゃん(本名はChat)は、わたしの友人あやちんの犬。あやちんが病気で散歩に行けなかったとき、わたしもチャッちゃんの散歩に助っ人として駆けつけたこともあります。チャッちゃんの毛色は、キャラメルがかった明るい茶色。短い毛はしっとりピトピトして、背中をぽんぽんと軽く叩くと「なに? なに?」としっぽを振って、可愛かった。

ピットブルはスタッフォードシャー・ブル・テリアとブルドッグを交配して造られた種で、闘犬などに用いられたため、獰猛な犬という印象を持たれてきました。でも本当は、とても忠実で心優しい犬。力は強いけれど従順で、ひょうきんなところもある犬たちだと思います。

チャッちゃんときたら(ごはんはちゃんともらっているのに)いつもお腹をすかせていて、散歩にでると道端に落ちている食べものを探して歩くのです。ニューヨーカーはお行儀が悪いから時々フライドチキンの骨などを道に食べ散らかしていくのだけれど、そんなふうに道端に落ちている骨など見つけたらもう大変。こちらが気づくより先にカプッと食べてしまいます。

顎が頑丈な犬だから大きなホネをがしがし齧るのが楽しいらしく、あやちんの家に遊びにいくと、しっぽを振りながら迎えてくれ、お気に入りのホネを見せびらしたものでした。


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  冬用コートを羽織って得意げなチャッちゃん。
  (写真:Aya Edmondson)


それまでずっと元気だったチャッちゃんに異変が訪れたのは、昨年の初夏あたり。

「チャッちゃん、片目が見えないみたいなの…」 心配したあやちんが病院に連れて行ったものの、原因はよくわからず。神経系統に異常があるらしい、と検査を繰り返すうち、こんどはてんかんのような発作が起きたり、足をひきずり爪が剥がれる、などの異変も。あやちんは毎週のようにチャッちゃんを病院に連れて行き、こまめに看病していました。

「チャッちゃん、癌らしいの」

そう聞いたのは、昨年十二月のことでした。リンパ腫で、身体のあちこちに広がっているらしい、と。正直、年が越せるかな…と心配だったのですが、暮れ近くなってあやちんから「化学療法をやってみることにした」と聞きました。

動物の場合、化学療法は回復を視野にいれるものではなく、残りの時間をできるだけ穏やかにすごすためのもの、だそう。実際にはじめてみたら、それまでは食べては吐いてしまいげっそり痩せていたチャッちゃんも、嘔吐せずにごはんが食べられるようになり、「調子がよくなってきた。化学療法やってみてよかった」とあやちんも嬉しそうでした。

様子が激変したのは先週のこと。朝、職場についたらあやちんから連絡が入っていたのです。

「チャッちゃんがすごく苦しそうで、昨夜遅くに病院に連れていったの」

病院に駆けつけると、酸素室にチャッちゃんがいました。あやちんは赤く目を泣きはらして、それでも優しい声でチャッちゃんに話しかけ、撫でていました。げっそり痩せたチャッちゃんは呼吸も苦しそうだったけれど、くりくりした目でおかあさんのあやちんを見上げては「まま? まま?」と言いたそう。

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 チャッちゃんの手。握るとがしっと存在感がある。
  (写真:Aya Edmondson)


生きるものの命を、ヒトの手で逝かせる。そのことに、以前は「それでいいのだろうか?」と疑問を持ったこともあります。

でも、でも。目の前のチャッちゃんは酸素室を出たら、呼吸するのも苦しそう。そのまま「自然に」していたら、たいそう苦しみながら逝くことになるでしょう。獣医師から安楽死の説明を受け、お願いしますと頭を下げたあやちんを、抱きしめて支えたいと思いました。

最期のお別れに、ソファをしつらえた小さな部屋に行きました。酸素室を出たチャッちゃん。タオルケットの上で横たわり、苦しそうだったけれど、大好きなおかあさんの腕の中で少し安心したようです。どれくらいの時間だったのだろう。長くも短くも思える十数分、わたしたちはチャッちゃんの頭を、足を、背中を撫で、話しかけていました。

それから獣医師の先生がやってきて、ひとつめの注射でチャッちゃんは眠りに落ち、安らかな表情になりました。ふたつめの注射(麻酔薬の大量投与)で、彼女は逝きました。それはそれは、安らかな寝顔で。

しばらくの間、わたしたちは涙でよく前が見えないながらもチャッちゃんの身体を撫で続け…。でも、彼女の鼻面が少し冷たくなるころ、「あ、チャッちゃんの魂は、この身体を離れたかな」と思いました。生と死についてはいろんな考え方があるし、それでよいのだと思う。日本で生まれ育ったせいか、わたしには輪廻転生の考え方は「心地よい」もので、魂は身体を離れてひとまずは天に上っていく、と想像するのが好きです。(たぶん、そうやって考えることで安心できるのだと思います。)

魂というものがあるのか、そうだとしたら身体が死去したあとどこへいくのか、いまの我々の理解では、とかく想像するしかありません。でも、月並みな言い方だけれど、チャッちゃんはもう苦しんでいないということをありがたいと思ったし、もしも天使がいるのなら、きっとチャッちゃんが無事に天に渡れるように迎えにきてくれたかな、と思いました。

「ありがとうね、チャッちゃん」

何度もそう言って、チャッちゃんを抱きしめていたあやちん。たくさんの命が日々生まれ、日々去って行くこの地上で、ひとつの愛のひとつの「章」に立ち会えたことを、有り難いと思います。

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(写真:Aya Edmondson)

末筆ながら、お知らせです。5年ぶりの、本が出来ました。

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『ふだん着のニューヨーク 〜 はる・なつ・あき・ふゆ…わたしの暮らしごよみ』 青春出版社刊

出版界もいろいろ大変な昨今、こうして本を作っていただける機会はなかなかなく、感謝に頭を垂れるばかりです。原稿の基となった連載をさせてくださったウェブ版オレンジページ歴代の担当編集者の内田様、林様、また担当ではないのに最初から最後までさまざまな面で助けてくださった宮川様、青春出版社の元担当編集者笠井様、現担当編集者福田様、デザインを手がけてくださった青春出版社のデザイン室の皆様、オリキュー隊の相棒として数々の冒険を共にしてくださった網田佳子さん、いつもおいしいもの情報をくれるDCのタカ君&まや嬢、インスピレーションとネタをくれるニューヨークという街とそこに暮らすみなさん、そして愛するニャニャムージカ・チャマスカヤ姫に、この場を借りて心からの御礼を申し上げます。そして、この本を手に取ってくださる方にも…70億ものひとびとがひしめく現在の地球上で、出会えることは本当に貴重で、感謝に値するもの。心からの「ありがとう」が届きますように。

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2012年1月 4日 (水)

新年のごあいさつ

新年明けましておめでとうございます。

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2011年は、日本中のみならず世界中を揺るがせた東日本大震災があり、放射能汚染や原子力発電など、それまでまったく生活の中で意識していなかった事柄が次々と日常の中で最大の懸念と化すなど、大きな変動がありました。2012年は大きな地震や事故のない穏やかな年であってほしいと、心から願っています。

空色庵でもゆるゆると変化がありそうですが、住人たちの暮らしの変化を取り込みながら、日本(静岡&東京)、南アフリカ、米国(ハワイ&ニューヨーク)と地球のあちこちからそのときどきの様々な思いを綴っていきたいと思います。ワタクシ個人に関していえば、昨年中は初夏から晩秋にかけ激務の波がいくつかあり、数ヶ月も更新できなかったことがありました。2012年はそんなことやめようぜと自省し、たとえ文章量が短くなってもちょこちょこと更新していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

2012年の元旦。みなさまはどんなふうにお迎えになりましたか?

わたしは新年を、東京の実家で迎えました。海外で暮らすようになってから、日本で年末年始を迎えたのは片手で数えても余るほど。時節柄、航空券も安くはありませんから、「今年のお正月は日本で」というのはちょっぴり贅沢な過ごし方です。それでも「今年は」と思ったのは、やはり大震災の影響も少しあると思います。2011年は震災直後と初夏に二度ほど帰郷しましたが、両親や弟家族と過ごせる時間の得難さを思い、東京で年越しをすることにしました。


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日本では会いたい人がたくさん居すぎて、いつも「会いたいな」という思いの十数分の一しか実現できません。ひと月も滞在できれば違うのでしょうが、いまのわたしの暮らしではニューヨークを離れられるのはせいぜい一週間。けれど、年末年始はやっぱり日本で過ごすのが一番好きです。年の瀬のせわしない感じもちょっとわくわくするし、大晦日のちょっと息をつめてゆく年を見送る感じや、日本全国のお寺で百八つの鐘をついて新年を迎えるのを中継で眺めるのも、元旦に少しだけ改まっていただくお雑煮の香りと味も、ああやっぱりいいな、と思います。こうした季節の節目には、昔ながらの日本人の暮らしぶりや知恵がそこここに宿っている。国土面積は小さくても四季の彩り豊かなこの国の風土やそこに暮らすひとびとを、愛しいなと改めて感じます。


今回帰国してすぐのこと。青山のあるお店で器を眺めていました。日本全国のさまざまな窯で作品を作っている若手陶芸家の方たちの「酒器」をテーマに集めてあったので、日本酒やワイン、寝る前のリキュールを呑むのにちょうどいい陶磁や硝子の盃、おつまみを盛るのにちょうどいい小皿などが並んでいました。マンハッタンのわたしのアパートはものを置くにもスペースが随分限られているので、ああどうしよう、綺麗だな、でもでも…と思いながら結局買えずじまい(ちょっと後悔)。でも、作る人が細かな部分まで愛でながら器を作ったという感じや、繊細すぎず頑丈すぎないちょうどよい塩梅のディテール、手に取ったときのひんやりした心地よさは、いまも覚えています。

最初は買おうか買うまいか頭の隅で悩みながら盃や小皿を手にしていたのですが、そのうちに自分が買うか買わないかはそれほど重要ではない、という気がしてきました。器を見ているうちに、いろんな風景が浮かんできたのです。

少しざらりとした手触りの脚つきグラスにはこっくりした味わいの赤ワイン。ちょっと昔風の西洋風(大正モダン、みたいな感じ)に縁飾りをつけた深い青の小皿には、ころころした緑色のオリーブか、浅く漬けたおつけもの。焼き栗を数粒、ころんと入れるのもいい。これはきっとふたりで呑むのにいいな、そんなふうにお酒を呑むのは、どんなふたりだろう。どんな話をするのかな? 小さな盃は、果物のリキュールを入れるとよさそう。まだお酒を呑み始めたばかりの女の子が、ひとり暮らしのアパートに、大切に持って帰るのかな…。器の向こうに、まだ生まれていない、そしてこれから生まれる、いろんな物語が見えてきて、そのことにひとり静かに感じいっていました。これらの器を作った人たちは、使う人がどんな場面で使い楽しむのか、思いを馳せながら作ったのではないかしら。

わたしの食器棚に並ぶのは、米国あるいはヨーロッパのどこかで作られた食器がほとんど。どれもそれぞれに気に入って揃えたものですが、こんなふうに作り手が使い手を慮り、形にそれをこめる、という印象を備えた器はあっただろうか。西洋の食器にも素敵なものはたくさんあるけれど、その店で出会った和食器たちはなにかこちらをはっとさせる深みを秘めて、ひとつ考える材料をくれました。

日本人のモノづくりに「使う人の立場に沿った想像力」が顕われているとしたら、それは器だけではないでしょう。たとえば日本の文房具は、ボールペンひとつとっても、持ちやすさ、インクののび、書きやすさを想定して作っている。米国でもそれに気づいている人は多いらしく、以前は書きづらい米国製のペンばかり置いていた全国チェーンの大手文具店が、ここ数年はすらすらと書ける日本のペンを幾種類も揃えています。ただ字が書ければそれでいいのではなく、たくさん文字を書く人も疲れないよう考えて作っている、そんなモノづくりの姿勢が顕われた例のひとつだと思います。


「意思の疎通を言語による明示にどの程度頼っているか(つまり、いちいち言葉で言わなくても相手が何を言いたいかわかるかどうか)」という、言語と文化に関する指針で、日本語・日本文化ではかなりの程度、言語に頼ることなくメッセージを伝えあえるというデータを見たことがあります(注:本稿執筆に当たり念のため再チェック&リンク貼ろうと思って探したのですが見つけられず。もうちょっと探してみます。とりあえずワタクシの記憶データでごめんなさい)。要するに「ツーカー度」が高い、ということ。インドや韓国も同様に「ツーカー度」が高いようです。一方、言いたいことを言葉にしないと伝わらない言語・文化としてはまずドイツ、続いて米国。これは確かに、米国に住んでいて実感としてわかる気がする。相手によっては慣れてくればお互い心中察する、ということも可能だけれど、日本人としては「常識」のように感じていることも、言葉にのせて説明しないと伝わらないことはよくあります。こちらはそれをもどかしく感じたりヒヤヒヤしたり、またわかりやすくていいな、と思ったり。ドイツ在住の友人に聞いたら、ドイツでも一時が万事、言葉で表現する、とにかく言わないとわかってもらえないし、逆にこちらは「それはわかっている」と思うことでもドイツ人が相手の場合は言いたいことを言わせてあげないと安心しないようだ、と言っていました。また同じ英語圏でも、英国は米国よりも「ツーカー」で分かり合える度が若干高いという結果で、これも興味深い話でした。

データの数値というのはあくまでひとつの目安でしょうし、例外はたくさんあると思います。それでも日本人が言語・文化において「相手を慮る」という特性を持っているというのは日米二国間を往復していて実感できることでもあるし、だからこそ「使い手」の紡ぐ物語を垣間みせてくれるような器や、海外でも評価される使い勝手のよいペンが作れるのだと思います。

一方、ひと頃前に「空気を読む」という言葉が流行りましたが、同じ非言語コミュニケーションの能力は、諸刃の剣にもなるのではとも思います。なまじ「ツーカー度」が高いということは、それぞれがきちんと「いま、自分はこの状況に対して何を感じるか、どう思うか」、そしてそれを「どう言葉にのせて表現できるか」確かめずに日常生活を営むことでもあるから。主語がなくても文章が成立してしまう日本語の曖昧さともあいまって、「わたしはこう思う」という自己への問いかけをすることなく、「なんとなく、みんなと同じ」選択を重ねても生きていける環境を作りだしていると言えないでしょうか。自己という意識が絶対的ではなく相対的であり、社会その他の要素によって可変性を持つ点をも踏まえた上での話ですが、ある事象に対して「自分」という主体はこう思う、こう感じるということを言葉にして表現する練習がもっとできたら、日本人も本当はもっと生きやすくなるのではと思います。

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ごく卑近なことですが、たとえば狭い通路の両側に人がいて、その間を通り過ぎるのにちょっと隙間を空けてほしいな、というとき。あるいは人にぶつかってしまったとき。「ちょっとごめんなさい」、「すみません」、それだけの一言でお互いがどんなに気持ちよくいられることか。たとえば今回の帰国中にも、混んだ店内で人と人との間を忍者のようにすり抜けている人を見ました。その姿は見ていて面白かったけれど、きっとお互いに「まったくもう…」と思っているだろうな、とも感じました。そこに立っている人たちは「障害物」ではなく「人」なのだから、肘で押したり無理矢理すり抜けたりなんて野暮だし、声をかけられた相手も無言のままではなく、「あ、すみません」とか「どうぞ」とか気軽に返してもよいのでは、と思います。

日本ではそういう風景がまったくない、というわけではなく、見知らぬ同士が声をかけあう姿も目にします。でも「ごめんなさい」、「すみません」、「ありがとう」の三つの言葉だけでも、もっと気軽に言えたら、日本人が元来持っている奥ゆかしさや思慮深さのいいところがもっと出てくる気がします。

さまざまな産業がある中で、観光も国としての大きな財源だと思います。小さいことかもしれないけれど、もしわたしがニホンという国を見にやってきた観光客なら(海外在住歴十数年の浦島太朗だから、すでに半分ガイコクジンの視点で見ているのかもしれないけれど)、街中で「すみません」や「ありがとう」という日本語に出会えたら嬉しいし、日本の風景やモノだけではなく、日本人の心に触れた気がすると思う。日本人同士がごくふつうに「すみません」、「ありがとう」と言い合っているのを聞くだけでも、この国に対する印象がどんなに気持ちのよいものになるでしょう。外国語の地名表示やアナウンスも大切だけれど、また昔ながらの風景という観光資源を保ち、手入れするのもとても大切だけれど、美しい日本語もまた、日本人みんなが日常的にお手入れできる大切な資源ではないかしら。

わたしはたまたま日本という国で、父と母のもとに生まれ、育ちました。それが偶然か必然かはわかりません。正直言うと、生まれた場所よりもまず、この両親と出会えてよかったと思っています。そしてニューヨークに住みながらも気持ちだけはパリジェンヌ、などとほざいているものですから(笑)、ニューヨークに住む日本人という自分のアイデンティティは、ある意味「後発事象」的な感覚もあります。自分が生まれ育った国であり、両親が居る国、日本。その日本を離れて暮らし、日本でもらった日本語の言語能力と、英語という自分で選択した言語能力を使って生計を立てている自分。そんな「ちゃんぽん」な暮らしの意味について時々考えます。これまでの生活の積み重ねや仕事もあるし、少なくともいまの自分にとってニューヨークが暮らしやすいのは事実。だから当面はニューヨークに住んでいくのだろうと思いながら…。


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それでも日本に帰るたび、この郷に幸多かれと願わずにはいられません。雑多な日常の向こう側にも、四季折々の風景や暮らしがある。いつもお持たせに使うおいしいお煎餅やさんの老夫婦とのやりとりや、帰国するたびに足を運ぶお蕎麦やさんの味、商店街を歩くおばあさんの背中、はしゃいで歩く高校生の足取り。ごく普通の風景だって数年先はわからない、つかのまの…。そのすべての向こうには、江戸時代から、奈良時代から、そして数万年前に大陸から渡ってきたころから、そしてそのもっと前から、ずっと続いてきた、誰かが誰かを愛するという事象や、親と子という繋がりがある。たとえ自分がいま暮らす舞台は離れていても、日本の風土やそこにある暮らしが心に恵みをもたらすという意味で豊かであってほしいと願っています。

環境にも、政治の世界にも、また経済にも、いろいろな変動がありそうな年ですが、どうぞみなさまの暮らしが安らかで、小さくても確かな幸せに彩られていますように。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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ヒメヒメもよろしくお願いいたしますニャ。


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2011年12月24日 (土)

朝のごちそうと、暮れのごあいさつ

この冬、ニューヨークは12月に入っても暖かい日が続いていました。年の瀬が迫り、漸く寒くなってきたところです。このごろは、家を出て次の交差点に行くまでに、鼻がつんと冷たくなる。でも冬はやっぱりこんなふうに寒いのがいいな、と思います。

寒くなると身体が冬眠モードになるのか、朝起きるのが辛くなってしまったのがこのごろの悩み...。油断すると、目覚ましが鳴ってもそれを止めて「わかってる、わかってる、起きるから…でもちょっと目をつぶるだけだから…」などと寝ぼけた頭で“正当化”し、二度寝してしまうこともしょっちゅう。そうやってむさぼる眠りの気持ちいいこと…ああ「イケナイコト」ってどうしてこんなに甘美なんでしょうか…

二度寝の後、ほにゃほにゃと起きだしてコーヒーを飲み、やっと目が覚める、という日常です。さあそこからが大変! 超特急で支度して家を出なくっちゃ。
なんでかっていうとね、朝のごちそうが待っているから。

家を出て東へ、街をジグザグ横切る。朝の街は薄く水色に煙るような空気が漂っていて、それでいて冬の朝だからパキッ、シャキッとして。鼻がつんと冷たいけど、それもいい感じ。地下鉄の駅もバス停も通り過ぎて、セントラルパークの森へ向かいます。

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わたしのアパートから現在のオフィスへは、地下鉄だと3本乗り継いで、約25分。これを歩くと、約50分。地下鉄だと本が読めるという利点はある(とはいえ、細かく乗り継ぐので中断の多い読書になってしまうけど)。でもね、地下鉄はちょっと苦手です。ニューヨーカーの特性なのか、アメリカ人の国民性なのかわからないけど、iPodなどの音漏れがひどい。こんな音量で聴いていてこの人の耳は大丈夫だろうか・・・と心配になってしまう人が、必ず数人います。ワタクシは昔から音に敏感で、混んでいるレストランなども苦痛に感じてしまう。だから、地下鉄はストレスが多い。

それなら歩いてみようか…と思いついたのは、夏の終わりのことでした。


アパートを出て、公園の入り口まで15分くらい。公園に一歩入ると、身体が、心が、「ふう」と息をつく。


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セントラルパークが作られたのは19世紀のことだから、それほど古い公園ではありません。でも少なくとも数十年から百年は生きている樹々たちの幹や枝ぶりを見あげると、一瞬のうちにゆるやかな時間に包まれる気がして、ほっとします。


自然歴史博物館の横から公園にはいると、目の前は大きな池です。まだ暖かいころは、毎朝亀の親子が朝日を浴び、首をぬ〜んと伸ばしていた岩があったっけ。秋が深まると亀たちは姿を消しましたが、いまごろはどこかで冬眠の準備中かもしれません。

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池では鴨や鵞鳥が、樹々の茂みでは朱色の胸をしたコマツグミが、それぞれにエサを探して忙しそう。黒に銀のラメをちりばめたホシムクドリの群れが梢にとまって、にぎやかにおしゃべりしているのに出会うこともあります。


リスたちが追いかけっこしたり、原っぱや木の枝であさごはんを食べたりしている姿も。


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もうひとつ楽しみなのは、散歩中の犬たちに出会うこと。池を離れて南へ降りると「羊の草原(Sheep’s Meadow)」と呼ばれる原っぱがあります。この原っぱの横に最近カフェが出来て、その周囲が近所の犬たちの散歩コースになっているのです。

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嬉しいのは、朝8〜9時ごろに散歩する犬たちの多くは綱なしで自由に歩き回っていること。犬が苦手な人は「怖い」と思ってしまうのかもしれないけれど、犬たちって社会的な生きものだから、見知らぬ人には普通寄ってこないのです。なにしろ彼らは犬友達と遊んだり、ヒト友達に挨拶したりで大忙し。大きい犬も小さい犬も一緒になって原っぱでボールを追いかけたり、枯れ葉の山のまわりをぐるぐる回ったり、それはそれは楽しそう。彼らの姿を見ているだけで「ああ、もう...ありがとう!!」と笑顔になってしまう。


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たくさんの犬たちを連れたドッグウォーカーのお兄さん。これから遊び場に向かい、幸せなひとときを過ごすのでしょう。


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「動物はしゃべれない」なんて本当ではありません。犬たちは「ねえ、ボール投げて!」とか、「こんにちは、こんにちは」とか、「遊ぼうよ!」とか、それはそれは饒舌です。

(本当は人間も動物なわけで、「人間と動物」なんて分け方をすること事態が間違っている、と思います。ニンゲンという動物や、サルという動物や、トラという動物…などなどが共存している、と考えるべきではないかしら。)

犬たちが遊ぶ一画を過ぎると、楡(にれ)の木の林。大人がひとかかえしてやっと届くほどの見事な幹、天高く梢が緑の天井を作って、それは美しい林です。どうしたわけかアメリカ楡の林ではほとんど鳥の姿を見ることはなく、ほんのときたま、リスが跳ねているだけ。食べものになる実がないのかもしれませんね。


わたしの大好きなナルニア国物語には「こちらの世界」と「あちら(ナルニア)の世界」の狭間にある「森」が出てきます。そこにいると眠くなって、うつらうつらしてしまう。アメリカ楡の林を通るたび、いつもそんな「こちらとあちらの狭間にある、眠りの森」を思い出しています。


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楡の林をすぎてもう少し歩くと出口。静かな森から一転して、五番街のにぎわいのただ中へ。本当は森を出てすぐオフィス、だと嬉しいのだけれど、そうも行きません。縦横にそれぞれのオフィスへ急ぐ通勤のひとたち、朝から街に繰り出した観光のひとたち。いかにも都会らしい喧噪の中、早足に歩きます。


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これから寒くなっていく季節ですが、朝の散歩は続けたいなと思っています。

本年度はなかなか更新もできず、ごめんなさい。来年度はもっとこまめに、ニューヨークからの便りをお届けしたいと心から願っています。

みなさま、今年もどうもありがとうございました。素敵なクリスマスと、ゆったりした年末年始をお迎えくださいね。


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ヒメヒメからも....みにゃさん、よいお年を♥

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2011年11月28日 (月)

ご無沙汰いたしておりました

みなさま。

ながら〜〜〜〜くご無沙汰しておりました。
拙者渡辺葉之輔、長旅から漸く戻って参りました......!

いえ別に男の子になって帰ってきたわけじゃありませんが(よーのすけ、は子供の頃から父に言われていた渾名。そうなのです。オスカル様の如く拙者も男として育てられたのであった。。)拙者不在にしておりました数ヶ月、みなみなさまには何一言の挨拶もせず、不義理放蕩の限りを尽くして参りました…。前代未聞不届き極まる我が所業、御家断絶も覚悟なれど郷里を追われて異国流浪の身、差し出す御家領地も御座いません。斯く成る上は拙者、切腹にてお詫びを!!! 
いやっ止めるなお小姓、ここは、ここは、ここはぁ!!

くぬぅ〜〜〜〜〜っっ

はぁ〜〜〜〜っっ

はらり..

…となるとここで話が途切れ連載も終わってしまうので、そーゆー極端なことはせず、老練なニューヨーカーらしく(なんだそれは)淡々と&そっとそっと閉じておった幕を開けたいと思います。つつー。

まずは近況報告から。


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ヒメヒメの近況は、ささみの夢をみたことにゃ〜★

最後のアップデートをしたのが6月29日。それから夏のあいだは、月〜金は(忙しいときは週末も)法律事務所でキンローし、週末は本の執筆をしておりました。

この「本」というのは、以前ウェブ版の『オレンジページ』で連載させていただいていたブログを元に、大幅に改筆&加筆したものです。
(↑ワタクシがいただいておりました連載ページは、その後誌面変更のためアーカイブから外され、もう誰も見ることができないのですが、一宿一飯どころか何年もお世話になりましたので…このご恩は一生忘れませぬ…との精神に基づき、メインページへリンクさせていただきます。ほんとうにお世話になりました★)

もとのブログでは一回の字数が平均1300字。本にするに当たって、ひとつの章は最低3000字、ななんと2倍3割増! しかもブログ仕様から書籍仕様へ、内容もすっぽりがらりと大幅改筆。こりゃあほとんど書き下ろしィ、、本邦初公開だよさあお買い得、買った買った奥さん、どうです今夜のおかずはこれで決まりィ!!

バンバン!!

はあはあ。。。

そういうわけで、はい、ほぼ全面的に改筆ですからね、夕鶴のおつうの如く、グリム童話のルンペルシュチルツヒェン(←ワカル?)の如く、せっせせっせと執筆にいそしんでおったわけです。
なんか今回、久々なのではしゃいでおりますが、どうぞ許してくださいませね。。。いけないあたくしを。。。嗚呼。

その間、キンロー場所でも二度ほど仕事上の「修羅場」がありました。ここでいう修羅場とは、要するにある締め切りがあって、司法関連の翻訳をダーーーーーーーッと提出しなければならない、ということです。なんせコトがコトなので、週末だしとかデートがあるしとかブランチしたいしとか言ってられないわけです。働けぇ、おらおらぁ!! キェーーーッ

しかしワタクシ、修羅場が好きなんです。修羅場と書いて「しゅらば」と読む。いいねえ、「婆娑羅」と通じるものがあるよね。こう、生きるか死ぬか、みたいな。粋るか死ぬかてことだぁね。

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あ、これワタクシのデスク横の風景です。修羅場ぽくないって? いや、植物が修羅場してどうする。。
「どわ〜〜〜ッ!!」とか葉っぱ振り乱してたら怖いがな。。


修羅場の何がいいかっていうとね、この「とにかく○日までに!! くぅ、ダーーーーッ!!」てのがたまんないんですわ。山葵をちょいちょいときかせてね。ダーーーーッと啜って、キューッと流し込む。何の話ですかね。

あ、おかわりおねがいします。


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燻した味というか、もうこれは海藻みたいな味といえますか...アイラ島の誇る『ラフロイグ』ですね。
は? オンザロック? 
いえ、これはストレートでしょう。
(水を入れるなら常温のミネラルウォーター数滴、ですね...)

いえつまり、
甘いものもいいんですけど、19歳のとき砂糖断ちしてからは、どっちかっていうと辛いほうが好みになりましたなぁ。スイーツとか恋愛とかね、甘いのもスイートでいいんですけど、人生こう、時にはツーんと辛くなくっちゃァね。

しかしもう、辛い修羅場なんて最高ですね。カーッと辛口でいきましょう。山葵も芥子もタバスコも好きだし。じゃんじゃんかけて、ほらもっとかけんかい! スかーっとドライめでね。あこれはシャンパンですかどうもどうも。クーッ。で、肴は山葵の茎をさっと湯がいて煎り酒でね。ちょちょっとすり下ろした生山葵を添えて。ああいいですね和洋折衷。

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こちらは世界一辛い唐辛子、ハバネロ。これをわしづかみにして、むしゃむしゃと....
あああああああああ〜〜〜〜〜〜

みなひゃま、ゔぁかなほとは、ひゃめまひょぉね。。
(みなさま、馬鹿なことはやめましょうね)

ああもうほんとに何の話ですか・・・・

妄想が暴走し過ぎたので現実に戻りますが、そんなわけで、5ヶ月も留守したわりには本人的にはお休み取ってないし、なんかこのごろ手なんかも荒れ気味でカサカサで・・・あ、ハンドクリームですかこれは、どうもすみませんねホントに。

(ぬりぬり)

そして先月には諸般の事情により、努力の結晶である本の出版の行方が一瞬危ぶまれるという事態すら発生。ほんとにもう人生は偶発事象の連発です。しかし関係者一同の昼夜惜しまぬ努力により、今般無事に出版できそうな見通しに。本当にありがたいことです。

夏が過ぎ秋が来て、本の話だの仕事の修羅場だのをくぐり抜けながらも、ああ早く空色庵に戻っていろいろおしゃべりしたいなあ、と思っておりました。


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10月末には雪が降りましたしね。

しかしまあ、one thing at a time、という言い方が英語にはあります。「一度に、ひとつずつ」。ここはまず、ご無沙汰のお詫びを申し上げつつ、近況報告とさせていただきます。なんかもう、散らかしっぱなしですが…あ、いいんですか、皿洗いしなくても? ほんとにすみません…山葵は冷蔵庫に戻しときましたから(深礼)


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住人は修羅場でも、植物は淡々と。
ワタクシももうちょっと淡々生活に戻りたいと思っております・・・

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2011年6月29日 (水)

言葉のチカラ

みなさま。ご無沙汰しておりました。この前のエントリーが「四月の終わりに」(5/1更新)だから、実に2ヶ月近くご無沙汰していたことになります。わ〜〜〜ごめんなさい。


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ニューヨークもすっかり夏です。これはうちのそばの「エドガー・アラン・ポー通り」。

チョイト仕込んでおきたいプロジェクトがあって、ここ2ヶ月ほどずっとそちらに集中していました。まだ過程なので報告はいたしませんが、ただ黙って精進あるのみ。がんばるぜぃ。
でも、空色庵のこと忘れてたわけではありませんよ! ゆっくり文章を書く時間がとれずにいたのです...。いただいたコメントのお返事もなかなか書けなかったし...ゴメンネ...。しかしおかげさまで、元気です!

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それから、ひとつ報告が。
ニューヨーク州法廷通訳試験の話を以前書きました。口頭試験の出来は自分では惨憺たるものだったので「次こそは」と志を新たにしておりました。
が、通知が届きまして…ナント合格しました。自分では「もう完全に不合格」と思っていたので、「おめでとう!」なんて書いてある書面に「ま〜たまた、そんな慰めなくていいから」なんて勘違いしたまま読んでいて、最初は意味がよくわかりませんでしたが...。

ただ、自分ではまだまだ能力不足と思っています。翻訳も通訳も「完璧」なんてものはない、常に「完璧」という頂上を目指して永遠に上り続ける登山のようなもの。それにしても、いまのわたしの能力はまだ登山口にやっと立ったようなものです。語彙や表現を増やすこと、瞬時に話の流れをイメージとして捉える力をつけること。まだまだやることはたくさんあります。今回認定を頂いたのは、「実践を以て学べ」という天のお達しと考え、精進あるのみッ。キェーッ。とぁ〜〜!!

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           でもヒメヒメは眠いの

先日、はじめてのお務めをして参りました。内容についてはもちろん書けませんが、短い法廷での時間の中で、言葉の力についてひしひしと感じました。依頼人の方はずっとがんばって英語で交渉してきたものの、どうしようもなくなって法廷に判断を委ねられたようでした。異国でわからないことも多く、心細かったことと思います。その場でわたしに出来ることは限られていても、その方の気持ちを言葉にのせて相手方および判事に伝え、また判事や相手方の言葉をできる限り正確に、かつわかりやすく依頼人にお伝えするよう、心を砕きました。この案件もまだ結果は出ていません。この次に依頼人さんが法廷に来られる際にお手伝いの順番が回ってくるかどうかわかりませんが、正義と公平さがもたらされるよう、心から祈っています。

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「正義と公平さを!」とチャッちゃん(←友人・紋遜さんちのピット♥)も言うし。

日常の中でも、言葉ひとつで場の雰囲気や気持ちがガラリと変わることってありますよね。たとえば、「どうぞ」という言葉。

日本で暮らせば毎日でも聞くような言葉ですが、短い中にも優雅さのある言葉だと思います。英語では、状況によって表現が違ってくる。相手に何かを差し出すなら「Here you go」だったり、道を譲るなら、ジェスチャーをつけて「Please」とか、「You go first」たまに「After you」(←これは「I will go after you」=私はあなたの後から行きます、の略)など。英語表現の具体性、実践的なところもまたよいのですが、日本語の「どうぞ」の万能さはお見事です。

「どうぞ。」

たった三音節の言葉で、何かを差し出したり、道を譲ったり、状況によっては「どうぞ(お元気で)」という祈りを表すことさえある。シャイな日本人同士でも、このくらい短ければ声をかけやすい。お店で聞いても、道で聞いてもいい言葉だと思います。知らない人に声をかけづらい方も、「どうぞ」は声に出していう習慣をつけたらいいんじゃないかな…さりげなく、それでいてとてもエレガントだもの。

「ありがとう」もいいですね。日本人も他国の人も含めて「好きな日本語の単語コンテスト」があったら、第一位は「ありがとう」になるんじゃないかな。

英語の「Thank you.」も嬉しい言葉ですが、実は「ありがとう」にはひとつ、とても素敵な点があるのです。

「ありがとう」は、 笑顔になりやすい言葉だって知ってました?
試しに鏡の前で「ありがとう」と言ってみてください。あ、り、が、までに、唇が横に開きませんか? 仏頂面になって口を開かないように言おうと思えばそれも出来るけど、「ア、イ、ア」という母音はきちんと発声しようとすると口が横に開くし、音色としても明るい響きを持っています。

一方、「Thank you」は「Tha..」のとこである程度意識して開かないと、口が笑みの形になりづらいのです。なんでかっていうと、日本語表記では「サンキュー」と書かれるものの、「Thank」の「a」は音として「ア」ではないから。これは専門用語で「シュワ(schwa)」と呼ばれ、「ア」と「エ」と「ウ」の中間のような、くぐもった音なんです。なので、わたしは「Thank you」と言うときは最初の音節のとこで笑顔になるよう、ちょっぴり意識しています。


それから、個人的には「がんばれ」も好き。確かに、「がんばれ」がプレッシャーになってしまう状況もあると思うから、他の人に「がんばって」とか「がんばろう」というとき、一瞬ためらったり考えたりもします。でも 自分に対しては、わたしはかなりしょっちゅう「がんばれ」とか「がんばろーぜ」って言っています。

「ガンバレ」って「Do your best」と訳されることがあるけど、その訳には少し違和感を感じてしまう。日本語で「ガンバレ」っていうとき、必ずしもそんなに突き放してはいないんじゃないかな。むしろ「You can do it!」=「君ならできるよ!」というふうに、信頼の気持ちがこもっている気がするのです。言ってみれば、「Do your best」は感情をこめないまま「最善を尽くしなさい」と言い放っている感じ。一方「You can do it!」はリングサイドでボクサーと一緒になってやきもきしながら闘うコーチや、ボクサーの一挙一動に思いをこめて見守るファンの気持ち。それに「ガンバレ」には「You can do it!」からさらに気持ちを添わせた「We can do it!」がこめられていることも多いと思います。

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            できるニャ

自分の職業柄、英語に照らしての話を書きましたが、他の言葉をフィルターにして見るとどうなるんだろう? 興味深いところです。


ところで、先日調べものをしていてふと面白い英文に行き着きました。下記の「手紙」、言葉の順番はまったく同じ。句読点の位置が違うだけです。つまり言葉をどこで区切るかによって人生大逆転!? 英文の下に日本語訳を記しますね。


Dear John:

I want a man who knows what love is all about. You are generous, kind, thoughtful. People who are not like you admit to being useless and inferior. You have ruined me for other men. I yearn for you. I have no feelings whatsoever when we are apart. I can be forever happy–will you let me be yours?
Gloria


Dear John:

I want a man who knows what love is. All about you are generous, kind, thoughtful people, who are not like you. Admit to being useless and inferior. You have ruined me. For other men, I yearn. For you, I have no feelings whatsoever. When we are apart, I can be forever happy. Will you let me be?
Yours, Gloria

* * *

<その1>
ジョンへ。
わたしが欲しいのは、わかっている男なの…愛とはどんなものかすべて。あなたは心が広く、優しくて思いやり深いわ。人々はあなたと大違い、自分が無意味で凡庸だと認めている。あなたのおかげでめろめろよ、他の男はまるでだめ。夢中なの、あなたに。気持ちが空っぽよ、あなたと離れていると。ずっと幸せになれるわ…わたし、なっていいわよね…あなたのものに。
グロリア

<その2>
ジョンへ。わたしが欲しいのは、わかっている男なの…愛とはどんなものか。すべてあなたの周りは、心が広く、優しくて思いやり深い人々。あなたとは大違い。自分が無意味で凡庸だと認めなさい。あなたのせいでぼろぼろよ。他の男にはまるでだめ、夢中になるわ。あなたには、気持ちが空っぽよ。あなたと離れていれば、ずっと幸せになれるわ。わたし、なっていいわよね。さよなら。
グロリア

(英文:作者不詳。日本語訳:渡辺葉)

句読点ひとつで愛がはじまり、あるいは終わる...。みなさま、気をつけましょうね。

* * *

本稿は、ニューヨークJFK空港へ向かう機内で書いています。そういえばここに来る途中、言葉を越えた美しい所作を見ました。

それは成田エクスプレスが、空港第一ターミナルに到着したときのこと。ホームで待っておられた清掃係員の方が、ドアが開く前にこちらに向かってお辞儀をしたのです。へりくだるでもなく、おざなりにただペコリとやるのでもなく、完璧に優雅なタイミングの、なにげない所作。こちらも思わずお辞儀を返しながら、その美しさに心打たれていました。

これってたぶん、とても日本的な所作ですよね。(あと、たぶん韓国でもこういう所作・心遣いがある気がします。アジアの国々には多いのかも。) 日本で暮らしておられる方には、そういうお辞儀は「ごくふつう」に見えるかもしれません。しかしそれは異国に住む旅人の心を瞬時にしてとらえ、深い感慨を抱かせたのであった。

毎日やる仕事でも、こんなふうに誇りをもって丁寧に向合っておられる。日本のひとのこういうところが、わたしは大好きです。こんな精神文化を持ち続ける限り、日本は大丈夫…そう思っています。

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2011年5月 1日 (日)

4月の終わりに

みなさま

すっかりご無沙汰してしまいました。4月ももう終わりです。う〜む。なぜひと月が経つのはこんなに早いのだろうか。子どものころ、苦手な授業(特に体育!)の一時間は永遠に思えたのに・・・。

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4月は下旬に日本に行っていました。このごろは、12時間というフライト時間さえも別に「長い」とは感じなくなりました。大人になると脳の働きがゆっくりになるのだろうか? 

そういえば、さきほど読んでいた『ザ・ニューヨーカー』誌にはこんなジョークが載っていました。

カメ「助けて! 襲われたんです!」
警官「暴漢はどんなやつでした?」
カメ「三匹のカタツムリです」
警官「どんなふうに襲われたんです?」
カメ「わ、わかりません・・・あっというまの出来事でしたから」

鶴は千年、亀は万年生きるといいますが、実際のところ、カメの種類によって20〜30年、しかし場合によっては150年や180年という記録もあるようです。いずれにせよ、長くても短くても一瞬一瞬を大切に生きていきたいものですよね。

*   *   *   *   *   *   *  

しかし、ワタクシにとってこのひと月はあっと言う間でした。前半に風邪を引いてしまい、高熱は出なかったものの、ずっと頭がぼうっとして鼻ぐずぐず、咳ごほごほ。そんな中で昼はオフィス仕事、夜は踊りの舞台に立っていたため、なかなか治らなかったのです。NYでの舞台が終わると、ほっとする間もなく日本へ。日本への帰国は一週間。とはいえ飛行時間や時差がありますから、東京で過ごした時間は5泊6日、あっという間のとんぼ返りでした。

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この帰国も、踊るためでした。日本で活躍するオリエンタル&ジプシー(ロマ)音楽のバンド、アラディーンが行うライブにダンサーとして出演させていただいたのです。ダンサーにとって生演奏で踊るのは大変楽しいもの。なにしろ音楽は、ダンサーにとって大切なかけがえのない「パートナー」ですから。

アラディーンは8人編成(ギター/ウード、フルート、バイオリン、カヌーン、アコーディオン、ベース、ダフ、ダルブッカ)。もちろん、ソロ演奏で踊るのも「一対一」の楽しみがありますが、こんなにいろんな楽器があって、様々な音の織りなす層を相手に踊るのは、とても楽しいものです。とりあえずこの人生は一度きりだし、自分の身体も変化していくから、ずーっといつまでも今と同じように踊れるわけじゃない。それなら踊らにゃソンソン♪

アラディーンを率いる松尾賢さんは、初対面(それまでメールではやりとりしていたものの)なのに会った瞬間に打ち解けた気分にさせてくださる方だったし、そもそもこの話を持ちかけてくださった万里亜さんは笑顔も人柄もチャーミングで、そんな出会いがあったのも幸せな収穫でした。

当日は朝から台風のようなどしゃ降りだったにも関わらず、いろんな方が見にいらしてくださって。風邪でふうふう言っていたせいもあり、このブログでのお報せができずじまいでしたが(ごめんなさい・・・)、ツイッターでお誘いしたところ駆けつけてくださった方や、仕事やダンスなどいろんな場面で知り合った友人たち、高校のときの同級生まで駆けつけてくださって、すごーくすごーく嬉しかった!! いらしてくださったみなさま、アラディーンの賢さん&ミュージシャン諸氏、そもそものお話をくださった万里亜ちゃんに、心より御礼を申し上げます。

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今回帰国するにあたって、「どうなんだろう・・・」と気になっていたのは、やはり震災のことです。とはいえ、帰国日数が極めて限られ、また風邪っぴきだったこともあってあまり外にも出られず、見聞できた情報はとても限られたものでしたが・・・。


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<これは、4月はじめにニューヨークで行われたコンサート Stand With Japanの風景。日本人や、日本を愛する各国のミュージシャンが集って演奏してくれました。主催はHappy Doll Project。行動力に感謝!!>

成田エクスプレスの運転が一部限られていたこと、空港や駅、商店街が照明を落としてあったこと、新聞記事の大半が震災と福島原発の状況に関するものであったことなど、一ヶ月以上経ってもやはり事態は収束していないのだと改めて感じました。

滞在中に一度、夜軽い余震がありました。「あ、地震だ。要警戒!」と頭の中では考えながら、実際のところは「あ、地震だ。でもまあ、すぐ終わるだろう」と、どうにも緊迫感が持てずにいたのです。その直後に「地震、びっくりしたでしょう」と東京在住の友人がメッセージをくれて、ああ自分は3.11を体験していないから、身体感覚として危機感がないのだ、と思いました。

日本の中でも、地域や直接体験した被害によって「温度差」がある、とは聞いていました。ましてや米国在住の自分にとっては、地震の揺れや放射能の恐怖、愛する者たちや故郷が被害に遭った痛みは、どんなに想像しようとしてもその半分も想像しえないのだと、改めて思います。「がんばろう」という言葉も、それをやりとりすることで励まされることもあるでしょう。東京でも「がんばろう」「がんばれ」という言葉をたくさん見ました。その一方で悲しみやショックに直撃されたひとにとっては「がんばろう」がプレッシャーになったり、疎外感を誘ってしまったりということもある、という新聞記事も読み、言葉の持つ重みについて考えているところです。

今年はチェルノブイリの原発事故から25年目に当たるのですね。東中野にあるポレポレ坐という映画館で、「25年目のチェルノブイリ」という原子力発電所関連の映画特集をやっていたので、『ストーカー』という映画を観てきました(*)。旧ソ連のタルコフスキー監督が1979年に発表した映画です。SF仕立て、ということになっているのですが、チェルノブイリ事故の9年前に発表したということが信じ難いくらい、予見的な作品でした。言葉で表現するのが難しいのですが・・・観てよかった、と思います。週末ということもあったのかもしれませんが、『ストーカー』にしろ、その後に上映された本橋成一監督の『ナージャの村』という映画にしろ、かなりの観客が詰めかけていて、原子力発電に関する関心度の高さを思いました。

*注:タイトルの「ストーカー」は、「妄想を抱いた相手につきまとう人」という意味ではなく、「こっそり忍び寄る」ひと、という意味だそうです。もっと詳しく言うと「つきまとう」という意味のストークは他動詞、「しのびよる」は自動詞。

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成田空港に向う電車の車窓から、外を眺めるのが好きです。新宿から乗って、山手線の下側をぐるり。渋谷、恵比寿、品川。子どものころ、祖母の友だちが恵比寿でお好み焼き屋さんをやっていたこと。大学時代に毎朝ぎゅうぎゅうの電車で通ったこと。いろいろ思い出しながら、いまの東京の横顔を眺めるのが好き。

東京駅を出ると、電車は隅田川や荒川を渡って、千葉県を横切ります。窓の外を流れるごくふつうの街並を見ていると、いつも「愛しいなあ」と思ってしまう。  毎日、毎月、毎年繰り返されてきたであろう、ごくふつうの暮らしの、ふつうの一場面。ベランダに干された洗濯物や、自転車で通勤する人の姿。学生服の子どもたちが揃って通学していくところ。小さな畑に揺れる菜の花や、雑木林。季節柄、田んぼには水が引かれ、何羽か鴨たちが泳いでいるのを見かけました。


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わたしが生まれ育った武蔵野やいま実家のある笹塚商店街の外れなどは庶民の町で、正直言うと看板が多すぎてうるさいなとか、家々の形がバラバラじゃんとか、美観という意味ではもうちょっとなんとかしようよと思うことがあるのも事実です。でもこの国に生まれ育って、「日本のふつうの暮らし」を体験してよかったなあ、と思う。自分が子どものころの記憶やこれまでに訪ねたことのある人たちの家の気配を、車窓から見える風景に重ねて、思いを馳せることができるから。あの家ではいまごろお味噌汁ができるところかなとか、あの家には小さい子犬がいるんじゃないかとか、そこに住んでいる人たちの暮らしをあれこれ想像していると、時を忘れてしまうほど。

こんなふうに日本の「ふつうの暮らし」の風景が好きになったのはいまにはじまったことではないけれど、
いまだから尚更「守りたい」と思うのかもしれない。

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<成田空港で、朝がゆを食べて出発しました。東京に戻るたびこのスープ屋さんに入ってみたいと思ってたんだけど、やっと叶った! 干し貝柱のおかゆ、おいしかったです>


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地震には活発期と休息期があり、いま地球は地震の活発期にあるといいます。地震やテロはいつ来るかわからないけど、そのための予防(家具を固定するとか、なにかあったときに家族同士で連絡手段を決めておくなど)の必要を痛感されている方も多いと思います。

いま日本の多くの方々が、状況や事情によっては少しずつ異なる形や度合いで、援助や理解を必要としていますよね。東北や北関東で、家や家族を失ったり、直接的な被害を受けた方々はもっとも緊急に、大きな援助を必要としておられるし、福島の方々は援助とともに、疎開先などでの理解を必要としておられるのではないでしょうか。また、東京で家族や友人たちと話した際には、東北と比較すると被害は少なかった首都圏でも、続く余震や原発の影響、経済への影響などに心が疲れ、不安に思っておられると感じました。

一人一人に出来るのはちっぽけかもしれないけど、一滴の水が集って河になるのだから。寄付や受け入れ先の供給など大きなことだけじゃなくて、情報を集めたり、共有したり、被災地や原発処理に関わる人々のことを考えてみたり、いろんなことができるはず。

計画停電による医療上の弊害などが報道されていますが、節電で計画停電が防げたらいいんじゃないかとも思います。海外在住のくせに知った口をきくな、って思われるかもしれないけど・・・。でも帰国するたびに思っていたのです。新宿などを歩くと、ギラギラ明るすぎ、うるさすぎだったもの。いらない電気は消してもいいし、薄暗さを楽しんじゃうという発想の転換もあるのでは(谷崎潤一郎『陰翳礼賛』には日本家屋の薄暗さゆえの美学が綴られていましたね)。

その一方で、これはわたしの私見ですが、「自粛」するよりむしろ、友だちと食事したり娯楽を楽しんでもいいと思うのです。日本経済が停滞してしまったらみんなが困るし、明るく楽しむときは楽しむことで、生活にメリハリをつけるのも大事ですよね。日本人はもともと、「工夫」がすごく得意なひとびとだから・・・いろんなひとが、いろんな場所で、いろんなスタンスで、発想の転換をうまく使って困難な状況を乗り切っていけたら・・・と思います。


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時間の歩みは、時にはカメのようにゆっくりだけれど、
やっぱり明日は来るし、気がつけば「来週」、「来月」、「来年」はすぐそこ。
時にはガーッと濃く生きて、時にはゆるゆる〜っと遊んだり息をつくのも大切だし。いろんな色の一瞬を、大切に生きていきたいものですね。いつかふりかえったとき、ごく「ふつう」の一日を、生きてよかったと思えるように。

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2011年3月28日 (月)

できること、それぞれに。

みなさま

地震と津波から2週間余が過ぎて、けれど。

傷跡はまだジュクジュクしていて。原発の状況も落ち着かないまま、被災地への支援もまだ充分でないまま。放射能の汚染がどうなるのか。被災地への物資供給は足りているか。そして、これを書いているいまも東北や関東地区では余震が続いていると聞いております。

ここ2週間、みなさまもそれぞれに、気持ちがしめつけられたり、泣きたくなったり、さまざまな思いを胸にすごしてこられたと思います。きっといまも、落ち着かない日々をすごしておられることでしょう。 

直後にわたしはアトランタに出張していて、普段ならオフィスである程度ニュースが見られるものの、出張中はそうもいかなくて、でも時間を見つけてはニュースを見ていました。こんなとき、募金に加え、何かしたい。自分にできるのはなんだろう、なんだろうって考えて、やっぱりとにかく言葉を送ろうと思い、前回の記事を書きました。海外在住だから、日本にいる方から「あなたに何がわかるの」って言われたら何も言い返せないけど、せめてなにか元気でるような言葉を贈りたい。きっと不完全だけど、ドンピシャじゃないけど、離れていても案じているから、一緒にいるからって言いたくて。

でもね、やっぱり離れているから、実際に揺れを経験したり、近所のお店で食料がスッカラカンになるのを目にしたりしたわけじゃない。だから、日本に居られる方が読んだら、少し違和感があったかもしれませんね。もしそういう違和感を感じた方がおられたら、ごめんなさい。少なくともコメントを残してくださった方々はよい方向に読んでくださって、ありがとうございました。

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みなさまと同様、わたしもしばらくショック状態にいたのだけれど、最近になって津波の映像や被災地の現在の写真を見て、改めて想像以上の惨状に驚いています。

先日は、被災地に赴かれた看護士さんのブログを読みました。twitterで教えてもらって、読んで、驚き、涙し、被災された方たちが少しでも早くほっとできるように、暖かい場所で栄養のあるものを食べ、お風呂に入れるように、できることをしよう、と思いました。

ブログ主さんにお断りしてから転載すべきかとも思いましたが、ブログの文章からして、いろんな人に読んでもらうことを主眼に書かれたものだと思います。被災地へ赴かれた勇気と献身に心から感謝の気持ちをこめて、当ブログを読んでくださる方々にも読んでいただけるよう、転載させてください。

わたしたちには、被災地に直接行って助けることはできない。素人が行っても邪魔なだけですものね。でも募金ならできるし、風評被害や差別に打ち勝つために、きちんと安全性が確認されている東北地方の産物を買うことだってできる。長期戦になるこれからのリカバリーのためにも、募金を続けたり、情報を交換しあったりもできる。

みなさんの状況によっては、募金できない方もおられるかもしれないし、「辛くて、災害の情報は見られない」という方もおられるかもしれません。

大丈夫、自分にできることを、いちばんいいやり方で、やっていきましょうよ。小さなことだって、自分からはじまるのだから。わたしたちひとりひとりが、前を向いて、足下の地面を感じて、頭上に広がる空を感じて、自分に必要なことをしたり、ひとに贈れるときは贈れるものを(気持ちでも、言葉でも)贈ったり、日々の暮らしの中でちょっとだけ考えたり、それぞれのやりかたで支えあっていきましょう。

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これから変わっていくかもしれないけど、みなさまからのご教示やご意見を請う意味もこめて、いま考えていることを書き留めておきますね。

節電はいま重要。でも、それ以外の部分で自粛していては、日本経済全体が停滞してしまうことも有り得る。日本の経済力が弱くなったら、被災地を支援し続けることも難しくなってしまう。それを防ぐために、経済を回していくことだって重要。そのためにはいつもと同じようにものを買い、生活して、日本の中でお金を回していくことも「支援」に繋がるのではないかと考えています。


わたしはこのところTwitterで情報を見ることが多いのですが、当空色庵の松本典子さん(注1)のRetweet(注2)で、「夜は薄暗く、若者は公園にたむろし、多くのマンションにエレベーターがなく、常に地下鉄は止まるリスクを抱えながら運行しているパリは世界一の観光都市だ。電気を激しく使わないと景気が悪化する!というアナウンスは、文化やアート・ファッションの力を忘れているように見える。」というメッセージがあり、そうだなあ、と思いました。

(注1:一般に同じ組織の人については敬称略することが多いですが、友だちであっても「親しい仲にこそ礼儀」をと思うので、敬称つけさせてください)

(注2:「Tweet」は140字以下の短いメッセージをつぶやくこと。「Retweet」は、他の人のメッセージを、自分とコミュニケーションがあるひとたちに向けてつぶやき返し、拡散すること。)

日本に帰国すると、懐かしくて温かくていいなあ、と思うのが第一印象。でも東京の繁華街などは、チカチカネオンが明るすぎるし、大きな音量でがなりたてるように音楽を流したり呼び込みをしていたりして、「うるさいなあ」と思うことも多いのです。わたしの家族が住む私鉄沿線の商店街でも、誰が選曲するのか、四六時中商店街のアーケードに音楽が流れています。そんなものいらないから、鳥の声とか近所の人のおしゃべりとか、そういう音を聞いて歩きたいなあ、といつも思います。

もしもこれを機会に、どんなことに電気を使うべきか考えることができたら、やりようによっては日本の街並、よりしっとり落ち着いた好い感じになるのでは?なんてことも考えています。

原発の安全性についてはいまみんなが考えているところだと思います。あまり知らなかったけど、原発の賛否についてはものすごく意見が分かれているのですね。少し感じたのは、たとえ意見が違っても、相手の声をかき消すように大声で怒鳴っているだけでは、何も進まないな・・・ということです。推進派は反対派の、反対派は推進派の、それぞれの意見を少なくとも聞いてみないと、たとえこの先どちらかが「勝って」も、本質的にはどちらも「勝って」はいない、という状況になってしまう。

このように大きな影響を伴うエネルギー政策は、たとえ国民全体のコンセンサスを取るなど無理だとしても、きちんと考え得る点を考え、討議して決めていきたいではありませんか? 原発がまだ一触即発の状況のとき(いまもそうですが)、上記ツイッターで目にするコメントに少しチクチクするもの(みんな、気持ちが疲れていたんだと思います。無理もないです)が見えたので、「いろんな意見があってこそ、民主主義のいいところですよね」とつぶやいてみました。

そうしたら、「なに呑気なこと言ってるんですか」というコメントもいただきました。

でも、自分と違う意見に対してガーーーッと罵倒するだけでは、何も生まれない。
みんなで、がんばるとき。それは本当にそう。でも、エネルギー政策に疑問を唱えたら非国民とか、そういう風潮にとても危機感を覚えるのです。いろんな意見を交わせるのって、すばらしいことだと思う。自分と違う意見のひとがいたっていい。最初は自分と印象や意見が違っても、耳を傾けることで「ふむ、そうか。そういう見方もあるか」という発見もあるもの。

災害の傷は深く、復興は長期戦になるでしょう。でも、でも、日本のひとたち(いわゆる日本人だけでなく、日本に住んでおられる韓国や中国やその他各国のひとたちを含みます)は、創意工夫に満ちているし、勤勉で、丁寧で、細やかだから、みんなでそれぞれにできることをしていったら、きっとリカバリーできる。わたしはそう確信しています。

それに、辛くなったらやっぱり泣いていいと思う。

上記に転載した看護士さんのブログでは、「泣くな」と叱られたことが書いてありました。「泣くな」という指令を出したひとの気持ちもよくわかる。必要な指令だったのでしょう。でも、人間だから・・。涙によって、共有できることや、ほっとほころぶものがあるから。

みなさんも、泣きたくなったり、怒りを叫びたくなったり、あるいはこの悲劇とは全然関係ない世界に逃避したくなるかもしれないし、それはとても自然な心の運びだと思います。


それぞれに、それぞれの、できることをしていきましょう。
舵取りするひと、機関士、あるいは帆を上げるひと、水平線の彼方を見張るひと、次に持ち場につけるよう休憩するひと。
いろんなひとがいてこそ、舟は大海原を航海していけるのだから。

日本という小さいけどでっかくて素敵な舟が航海を続けられるように、それぞれの持ち場で、それぞれに。ねっ?

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2011年3月16日 (水)

みんなで、いこうぜ。

みなさま。

信じられない思いと、不安と、恐怖と、悲しみと、「でも冷静でいようよ」という思いと、「だけど何を信じたらいいの?」という戸惑いと。
わたしたちみんなが、それぞれに、いまたくさんの思いの狭間にいます。


明日はどうなる? 


それさえもわからず、固唾を呑み、けれど毎日の営みを続けようとし・・・・


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国籍を「日本」とするひとたちだけでなく、日本で生まれた、あるいは育ったひとたち、あるいは日本を訪れ愛するようになったひとたち、遠く離れ、まだ日本の地を踏みしめたことはないけれど思いを寄せるひとたち。

ここで、そこで、あそこで、世界中で、たくさんのひとたちが、日本の行方を案じ、涙を流し、がんばれ!!と励まし、助けの手を差し伸べようとしている。
わたしたち、ひとりじゃない。みんながいる。


みなさまの心がパーッと晴れるような、魔法の言葉をここで書けたら。
それができないのが悔しいけど、でも、知っていてください。

ひとりじゃない。

わたしだって怖い。あなたも、怖いよね? 
でもわたしだって勇気出せる。
あなたも、勇気出せるよね。
離れていても、つながっているから。

人間だから、怖いときは怖いって思っていい。泣きたいときは子どもみたいに泣いていい。わたしも、泣きましたよ。怖いもん。

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ガクガク震えるほどの恐怖や不安を感じても、時間という優しさの波をかぶって、すう、と深呼吸して、そうすればじきに恐怖や不安は落ち着いていく。冬の寒さに死にかけたと見えた植物が、春になれば小さな芽を吹くように。わたしたちのなかからも、勇気の芽が出てくる。きっと。これまでもそうだったから。そうでしょう?

そして同時に、できるだけ冷静に、そのとき出来る限りの正確な情報を取り込み、考え、いまほんとうに何が起こっているのか、するべきことは何か、見つめていきたいと思います。
闇雲にパニックするのは、自分も含めだれのためにもならない。でも同時に、確かな基盤なしに「大丈夫だいじょうぶ」って言ってしまっても平気? ということも、意識していたい。

政府の声明を信じられたら、と思います。
確かにね、政府が「わーーーっ!! たいへんですぅ〜〜〜!!!」って言っていたら、わたしたちどうすればいいの?? とは思う。政府だからこそ、「大丈夫、私たちの国はなくなりません。できるかぎりの最善の方策を講じています」って言ってほしいし、安心させてほしい。

同時に、こうも思う。数々の公害事件で、政府の声明は常に正しかっただろうか? 水俣病、アスベスト、ダイオキシン・・・


自国民のためにできるだけのことをする、それが政府の大前提・・・のはずですよね。でも、政府は神様仏様じゃないから、ひとりひとりを包んで守ってくれることはできない。生身の人間ひとりひとりも「国民」だけど、企業法人だって政府にとっては「国民」なのです。生身の人間という国民だけじゃなくて、企業法人という国民の利益も尊重している。それぞれに、さまざまな、「守らなくてはならないもの」があるから。政府といえど、国民全員を幸せにすることなんてできない。・・・ただ、不可能なバランスを取ろうとするしかない。(それでもみんなを守ろうとする、そういう政府であってほしいけれど。)


政府の取ってきた政策に100%満足している。そんなひとも中にはいるかもしれないけれど、「いや、政府の政策のここんとこは納得できないナ」と思っている方も多いのではないでしょうか?


いま「大丈夫です」って政府が言ってくれたら、それをそのまま信じることができたら、安心ですよね。でも、信じていいのかな。

事態が流動的すぎるから、わからないことが多すぎるから、いま「これが絶対正しい」って言えるひとなんていない。ただ、でも、せめて、出来るだけ目を開いて、耳をすませて、心の声に耳を傾けて、事実を、真実を、見極めるよう努めていくしかない。


そしてね、こうも思うのです。
何世紀も続いてきた国じゃんか!
邪馬台国から飛鳥、奈良、平安、鎌倉…(中略)…安土桃山、江戸、明治、大正に昭和。さまざまな文化、政治のかたち、社会のありかたを通じて、でもわたしたちの暮らしの営みはいつもそこにあって。


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心さえもえぐるような傷だって体験したし、立ち直れないかと思える打撃や痛手も受けてきた。でもさ、東京大空襲からも、原爆からも、ものすごい不況からも、立ち直ってきた。みんなで、なんとか。


だからまだまだやれる。いまだって、Twitterでいろいろな方のつぶやきを目にしながら、情報だけじゃなくて勇気をいっぱいもらっています。遠くに離れたひと同士だって、この空色庵のコメントでつながることができるみたいに、いまわたしたちの手に届くさまざまな連絡手段でつながることができるから。

空がある限り、つながっているから。
海を越えて、つながっているから。


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だからこそ、思い出そう。
大丈夫だよ。立ち直れる。
辛いけど、怖いけど、悲しいけど、わたしたちひとりぼっちじゃない。みんながいるから。

ぶっきらぼうな言葉で、ごめんね・・・

でも、いまあなたと、こうしてつながることができて、こうしてお話することができて、こうして思いの「手をつなぐ」ことができて、わたしもたくさん勇気をもらっています。そしてあなたにも、勇気と希望を届けることができたら。


ひとの力は、「個人」という隔絶された個体の中に別々に宿っているんじゃない。大きな石を動かし、お城や摩天楼を立ち上げ、空を飛び、不可能を可能にする。ひとりじゃできない。みんながいて、できること。ひとの力は、人と人のあいだにあるのだから。だから「人間」って言うんじゃんか〜。


不安だけど、明日は来る。朝は来る。光は必ず戻ってくるから。笑顔だって戻ってくるから。


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日本を愛し、気遣うみなさま...
ダイジョブだよ。みんなで頑張れる。
まだまだオッケ。

ね? 

さー、やることいっぱいあるぞぉ。

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さー、元気出していこうぜっ!! 

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